林原 健 (プロフィール)
   
昭和36年5月林原株式会社(現株式会社林原)代表取締役
昭和36年6月社団法人林原共済会理事長
昭和38年12月財団法人林原美術館理事
昭和39年11月太陽殖産株式会社代表取締役
昭和45年9月株式会社林原生物化学研究所(現株式会社林原)代表取締役
昭和55年9月林原商事株式会社(現株式会社林原)代表取締役
平成13年2月学校法人高梁学園(現学校法人順正学園)理事(就任、現在)
平成24年4月学校法人順正学園名誉客員教授(就任、現在)
平成29年11月林原健307美健メセナ協会理事(就任、現在)
平成30年2月株式会社林原健307取締役(就任、現在)

<受賞歴>
科学技術功労賞(1975年)
藍緩褒章(1997年)

<著書>
私の履歴書(2003年)日経新聞社
林原家(2014年)日経BP社



【林原健について】

<信条・座右の銘>
私の信条は世界中の人々の幸せを願い、その結果自らも幸せになる生き方をすること』
私は50年間、世界で私にしか出来ないものを世に送り出す事に全てを捧げて参りました。
今後もこの方針を変えるつもりはございません。



★高純度マルトース(麦芽糖)★
1967年当時、高純度マルトース(麦芽糖)の量産は困難とされていましたが、幸いにも発見できた微生物からの酵素を利用して、でんぷんから高純度マルトースの新たな製造方法を開発。当時、世界中の点滴は、ブドウ糖輸液が定着していましたが、これに対してマルトースの輸液はブドウ糖輸液と比べ同量で2倍の栄養を補給でき、点滴時間を半減、患者の負担を大きく軽減できるメリットがあります。高純度マルトースを利用した輸液は、大塚製薬を通じて開発し、主に産婦人科を中心に日本中の病院に広がりました。

★ブルランの大量生産に成功★
1973年当時、国土の広いアメリカでは、長距離輸送が可能な酵素を通さず食べることができるフィルムの出現が望まれていました。そこで、酵素と微生物(プルラリア、プルランス)を使用して、でんぷんから優れた性質のプルランという物質の大量生産に成功しました。食べられるプラスチックとでもいうべき製品で、酵素を全く透過せず、カプセル薬のカプセルに適しており、国内外では食用フィルムやカプセルとして使用されており、今後さらに広がっていきます。

★HIVの治療へ…★
1979年当時、世界初のインターフェロンαの大量生産技術を確立しました。さらに、このインターフェロンを錠剤化し、1錠あたり300単位と非常に低用量での開発に、アメリカベンチャー企業のアマリロ・セル・カルチャという会社と共に取りくみ、HIVに対して大きな治療効果があるという、WHOのお墨付きを頂きました。その後、ケニア政府の依頼で早速、大量供給をはじめ、ケニア共和国の国軍司令官、ダニエル・T・アラップ・モイ大統領閣下ご臨席の下、1990年7月27日に発売記念式典が挙行され、この式典に於いて大統領閣下より感謝状が林原生物化学研究所に授与されました。

★トレハロースの開発★
1992年当時、でんぷんから直接作る事は学術的にも不可能といわれていた、糖のトレハロース。数多くの微生物を調べ、トレハロース産生に関わる酵素を持つ微生物を探し出し、でんぷんから容易に直接トレハロースを製造する方法を確立しました。この製造方法により、トレハロースの価格は従来の約100分の1となり、現在ではあらゆる分野で利用されています。


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